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わかりやすい漢方薬解説・漢方理論解説

漢方医学を伝えてきた文献 (1)

漢方医学を築いた先人たちはその知識を多くの文献として残しました。今日の漢方医学があるのは無数の先人たちが残してくれた知識の結晶でもあります。まずこのページでは中国伝統医学において最も重要といわれる黄帝内経・神農本草経・傷寒雑病論(傷寒論と金匱要略)について概説いたします。これらは 漢方医学の歴史漢方医学を築いた先人たちでも登場しますので、ぜひ照らし合わせながらご覧ください。


黄帝内経(こうていだいけい)


黄帝内経は紀元前200年頃の前漢の時代に成立したとされる中国最古の医学書であり、素問(そもん)霊枢(れいすう)の二部から構成されています。残念ながらオリジナルは現存していません。


その一方で独自の注釈などを加えた写本は数多く残されています。代表的なものに黄帝内経太素(こうていだいけいたいそ)があり、遣唐使を通じて日本に輸入され国宝として現存しています。


黄帝内経の著者はタイトルにもある黄帝ではなく、前漢時代よりも約500年前の春秋時代頃(日本は縄文時代)から複数の人間の手によって時間をかけて編纂されたとされています。したがって、明確な著者は不明です。


もしかすると著者たちは伝説上の人物であり、超人的な能力を持った偉大な帝王である黄帝の名を冠して文献の権威を高めようとしたのかもしれません。実際にその価値は極めて高く、後述する神農本草経、傷寒雑病論(傷寒論と金匱要略)と並んで黄帝内経は中国伝統医学史においてその基礎理論を示した最も重要な文献といわれています。


この黄帝内経の内容としては陰陽五行論を背景とした宇宙・自然・人間の密接な関連、五臓六腑の役割、経絡の説明と鍼灸を用いた治療法、病気の種類、一年を通じて病気にならないための養生法などが細かく分かれて収載されています。現代的な表現をすれば古代中国における生理学、病理学、衛生学、そして鍼灸を中心とした診断学と治療学の論文集といった体裁です。


黄帝内経は上記の通り鍼灸を用いた治療に多くのページを割いており、生薬を用いた治療法は約10種類程度しか載っていません。くわえて傷寒論に収載されている葛根湯のように現代においてもエキス製剤化されているような「現役」の処方はありません。


神農本草経(しんのうほんぞうきょう)


神農本草経は紀元後200年頃の後漢の時代に成立したとされる中国最古の本草学書です。諸説はありますが下記の傷寒雑病論(傷寒論と金匱要略)とほぼ同時代に生まれたと推測されています。


神農本草経の著者は神農ということになっていますが、神農自体が伝説上の人物なので明確には明らかにはなっていません。おそらく長い年月と複数の人間の経験(人体実験)を土台にして上げられたと考えられます。


神農本草経のタイトルにもある「本草」とは生薬として用いられる植物・動物・鉱物の総称であり、本草学は生薬単体の名称や形態を整理し、薬効や用法などを研究する学問です。神農本草経を含めて本草学書はそれらの情報をまとめた「生薬辞典」のようなものです。


神農本草経のオリジナルは失われており、その姿は注釈などを加えた写本から推測されています。有名な写本に陶弘景(とうこうけい)が紀元後500年頃に製作した神農本草経集注(しんのうほんぞうきょうしっちゅう)や神農本草経集(しんのうほんぞうきょうしゅう)があります。


神農本草経には植物薬252種、動物薬67種、鉱物薬46種の合計365種が収載されており、それらは上薬・中薬・上薬に分類されています。内訳は上薬120種、中薬120種、下薬125種に分けられ、効能や使用法が書かれています。


上薬には長期的に服用しても害はなく、健康を維持して寿命を延ばすような生薬が含まれます。中薬は毒にもなりえるので養生や治療に慎重に用いる生薬になります。そして下薬は基本的に有毒な生薬なので治療にのみ用いて長く服用してはいけません。代表的な例として人参や地黄は上薬、当帰や芍薬は中薬、そして大黄や附子は下薬に分けられています。


上薬・中薬・上薬という分類を見ると太古の時代から治療よりも養生、つまり病気になる前にそれを防ぐことを重要視していたことが神農本草経から読み取れます。さらに上薬には上記の人参や地黄にくわえて山薬(ヤマイモ)や大棗(ナツメ)など食品として今日でも用いられているものも多く、医食同源の思想も描かれています。


他にも神農本草経には複数の生薬を組み合わせることでその作用を増幅させたり、毒性を弱めたりすることが示されています。この考え方は後に生まれる漢方薬の基礎的知識となっています。


傷寒論(しょうかんろん)


傷寒論はもともと傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)という文献の急性感染症治療を取り扱った部分が分離独立して生まれました。もう片方は金匱要略(きんきようりゃく)という急性感染症以外の病気に対応するための文献となりました。


傷寒論(傷寒雑病論)は紀元後200頃の後漢の時代に成立したとされています。傷寒論における「傷寒」とは急性のやや重い感染症のことであり、インフルエンザや腸チフスなどを指しているといわれています。


著者は中国の長沙という地域を治めていた張仲景(ちょうちゅうけい)という人物とされています。しかし、実際には複数の人物の手によって編纂されたという説が濃厚です。


残念ながら傷寒論のオリジナルは完成後まもなく失われてしまい、晋の時代に高い完成度で再編纂されたといわれていますがこれも程なくして消失。オリジナルを知る手がかりとしては宋の時代に復刻出版された宋板(宋版)傷寒論や大塚敬節が発見した康平傷寒論などが有力とされています。その一方で真偽の議論は依然として続いています。


傷寒論は黄帝内経、金匱要略、神農本草経とともに中国伝統医学史において最も重要な文献といわれています。この「重要性」は考古学的なものに限定されず、実用性の面でも今日において力を発揮します。江戸時代に勃興した日本の古方派は特に傷寒論を重視しました。


「感染症対策マニュアル」ともいえる傷寒論の特徴は患者の病態を六つに分けて、各ステージにおける治療法を網羅している点です。これらのステージは六病位や三陰三陽病と呼ばれ、太陽病・陽明病・少陽病・少陰病・太陰病・厥陰病から構成されています。基本的に病邪(今風に表現すればウイルスや病原菌です)は身体の表面から侵入してゆき、徐々に身体内部を犯してゆくと傷寒論では述べられています。


したがって、治療者は患者の症状から患者はどの病位にあるのかを判断し、そこから適した漢方薬を導き出すことが治療のプロセスとなります。この診断から治療までの一連の流れを六経弁証(ろっけいべんしょう)と呼びます。


例えば傷寒論による太陽病の定義は「太陽の病と為すは脈浮、頭項強痛して悪寒す」とされます。これは「脈をとると体表の近くにその流れを感じ、頭やうなじにこわばりがあり、寒気を感じる」状態です。


さらに読み進めると「太陽病、項背強ばること几几、汗なく悪風するは、葛根湯之を主(つかさど)る。」とあります。これは「後頭部から肩甲骨の辺りがこわばって、汗はあまり出ず、風に当たると寒気を感じるようだったら葛根湯を服用すれば治る」という意味です。わかりやすく葛根湯で治る病態が書かれています。


傷寒論を読んでいる「医者が誤って……」という文にしばしば遭遇します。この文句の後には「その際は○○しなさい」という文が続きます。これは文字通り、六経弁証が間違っていた際の対処方法ということになります。このような記述があることからも傷寒論の完成度の高さや今日でも評価を受け続ける実用性の高さが感じ取れます。


傷寒論を出典として現在も頻用される漢方薬としては茵蔯蒿湯、黄連湯、葛根黄連黄芩湯、葛根湯、甘草瀉心湯、桔梗湯、桂枝加葛根湯、桂枝加桂湯、桂枝加厚朴杏仁湯、桂枝加芍薬湯、桂枝加芍薬大黄湯、桂枝湯、桂枝人参湯、桂麻各半湯、呉茱萸湯、五苓散、柴胡加竜骨牡蛎湯、柴胡桂枝乾姜湯、柴胡桂枝湯、四逆散、梔子柏皮湯、炙甘草湯、芍薬甘草湯、芍薬甘草附子湯、小陥胸湯、生姜瀉心湯、小建中湯、小柴胡湯、小承気湯、小青竜湯、真武湯、大柴胡湯、大承気湯、調胃承気湯、猪苓湯、桃核承気湯、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、人参湯、半夏瀉心湯、白虎加人参湯、麻黄湯、麻黄附子細辛湯、麻杏甘石湯、麻子仁丸、苓桂甘棗湯、苓桂朮甘湯などが有名です。なお一部は下記の金匱要略と重複しており、名称は現在において一般的に用いられている形で表記しています。


金匱要略(きんきようりゃく)


上記の傷寒論の項目でも述べた通り、金匱要略は傷寒雑病論という文献の雑病、つまりは急性の感染症以外の慢性病を取り扱った部分が分離独立して生まれました。金匱要略(傷寒雑病論)は紀元後200頃の後漢の時代に成立したとされています。


著者は傷寒論と同様に張仲景とされていますが、やはり複数の人物の手によって編纂されたものと考えられています。残念ながら金匱要略もまたオリジナルは失われています。宋の時代(紀元後1000年頃)に偶然発見された断片的な写本を再編集したものが今日まで伝わっています。


金匱要略の特徴は幅広い慢性病を取り扱っており、「婦人妊娠病」のように大まかな疾患のカテゴリーが示されている点です。現代風に収載されている疾患のカテゴリーを表現すれば循環器系疾患・呼吸器系疾患・消化器系疾患・泌尿器系疾患・皮膚科系疾患・産婦人科系疾患・精神科系疾患などを網羅しています。


より細かく見てゆくと慢性疲労や不眠症のような今日でも大きな問題になっている病気から、落馬した際のケアや首つりをした者への応急手当などややエキセントリックで驚いてしまうような項目もあります。くわえて食べ物を選ぶ際の注意や食べ合わせなど、オリジナルの金匱要略に記載が本当に合ったのか疑問視される項目も見受けられます。


現代の日本において金匱要略にも載っているような慢性病は依然として大きな社会的問題です。そのような背景もあり、金匱要略に収載されている漢方薬は今日の医療現場において「エース級」として活躍する「現役選手」が極めて多いです。簡単に比較はできませんが、その活躍の幅は傷寒論収載処方を凌ぐほどです。


ほんの一例として貧血やむくみを改善する当帰芍薬散、つらい生理痛や子宮筋腫にも有効な桂枝茯苓丸、不正出血や痔の出血などに用いられる芎帰膠艾湯、動悸や不安感を除く桂枝加竜骨牡蛎湯、加齢による腰痛や頻尿を癒す八味地黄丸、乾燥した咳を鎮める麦門冬湯、下半身を中心とした冷えを緩和する苓姜朮甘湯などは今でも不可欠な漢方薬が金匱要略にはいくつも収載されています。


上記に加えて金匱要略を出典として現在も頻用される漢方薬としては茵陳蒿湯、茵陳五苓散、温経湯、越婢加朮湯、黄耆桂枝五物湯、黄耆建中湯、葛根湯、甘草瀉心湯、桔梗湯、桂枝加黄耆湯、桂枝加桂湯、桂芍知母湯、桂枝湯、呉茱萸湯、五苓散、柴胡桂枝湯、酸棗仁湯、三物黄芩湯、炙甘草湯、小建中湯、小柴胡湯、小承気湯、小青竜湯、小青龍湯加石膏、小半夏加茯苓湯、沢瀉湯、大黄甘草湯、大黄牡丹皮湯、大建中湯、大柴胡湯、大承気湯、猪苓湯、人参湯、排膿散、排膿湯、半夏厚朴湯、半夏瀉心湯、白虎加人参湯、茯苓飲、防已黄耆湯、麻杏薏甘湯、麻子仁丸、苓甘姜味辛夏仁湯、苓桂甘棗湯、苓桂朮甘湯などが有名です。なお一部は傷寒論と重複しており、名称は現在において一般的に用いられている形で表記しています。


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文・女性とこどもの漢方学術院(吉田健吾)